司祭の言葉 12/28

聖家族 マタイ2:13-15,19-23

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

マタイによる福音は、ヨセフさまの夢の中に主の天使が現れ、次のように告げたと伝えていました。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

ヨセフさまはみ使いのお告げの通り、マリアさまからお生まれになられた幼子に、「イエスと名付け」ました。新約ギリシャ語の「イエス」の名は、ユダヤの言葉ヘブライ語では「ヨシュア」であり、「主は救う」という意味です。ただ、主イエスにおいて、神はどのようにしてわたしたちをお救いくださるのでしょうか。

降誕日夜半のミサでのルカによる福音は、最初のクリスマスに幼子キリストとマリアさま、ヨセフさまの聖家族は、ベツレヘム郊外の荒れ野で「野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたち」の訪問を受けたと伝えていました。

マタイによる福音は、聖家族は、さらに「東方からの占星術の学者たち」の訪問を受けたと伝えます。彼らをベツレヘムまで導いた「東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」

「ところが」と、後に聖家族の受けるご苦難を、すでに暗示するかのように、マタイは続けます。東方の学者たちは、「『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」

事実、今日のマタイによる福音は語り継ぎます。「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」

マタイは、主の天使のこのお告げを、預言者ホセアを引用して、「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』(ホセア11:1)と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」、と説明していました。

その後、「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。』・・そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に帰って来た。」

ホセアの預言通りです。同時に、キリストが地上のご生涯の始めに経験されたエジプトからイスラエルの地への過越の内に、後に、十字架の苦しみを経てご復活へと過ぎ越される「主の過越」が暗示されているのではないでしょうか。

イエスの名は、ヘブライ語ではヨシュアであると申しました。旧約でヨシュア(ギリシャ語では、イエス)とは、神がモーセによってお始めになられた神の民の救い、すなわち神の民のエジプトからイスラエルの地への「過越(出エジプト)」のために、モーセと共に働いて神の民をエジプトから導き出し、さらにモーセ亡き後、神の約束されたイスラエルの地に神の民を導き入れた、「旧約の過越」の成就者の名です。

明らかに主イエスのみ名には、旧約のヨシュアが隠されていると思います。神が主イエスと聖家族を、最初にエジプトに導かれたのは、後に彼らを、「エジプトからわたしの子(主イエスと聖家族)を呼び出」されるため、すなわち新しいヨシュアである主イエスによって、新しい神の民である聖家族に、主の十字架と復活による「新約の過越」を成就させることの「しるし」ではなかったでしょうか。

さらにその後聖家族は、「夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった」と、マタイは伝えます。

「ナザレ」という地名は、預言者イザヤが「王であるメシア」を示す「エッサイの株からの一つの若枝」(11:1)、あるいは「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝」(53:2)の「若枝」を意味する語であるとされます。「イエスはナザレの人と呼ばれる。」主イエスこそ、まことの王キリストであるということです。

「聖家族」。それは、キリストご自身によって「神の国」へと確実に導き入れられ、「神の国の主」キリストのみを王として生きる、新しい過越の神の民です。洗礼によってわたしたちが招き入れられたのは、この「聖家族の食卓」です。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。