司祭の言葉 11/9

ラテラン教会の献堂 ヨハネ2:13-22

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日、ローマのラテラン教会の献堂を記念しています。ラテラン大聖堂は、使徒ペトロの後継者であるローマ司教(教皇)の「司教座」聖堂として、320年頃、ローマ皇帝コンスタンティヌスによって献堂されました。当初は「救世主(キリスト)大聖堂」と名付けられたラテラン教会は、「ローマ司教座」の特別な重要性から、「ローマと世界のすべての教会の母であり頭」と呼ばれて来ました。

コンスタンティヌス大帝こそ、313年のミラノ勅令によって教会を公認・保護し、長く続いたローマ帝国による教会の迫害に終止符を打たれた方です。後に、紀元380年には皇帝テオドシウス1世により、カトリック教会はローマ帝国の国教とされます。その際のカトリック教会とは、ローマ司教を「信仰の保護者」とする、ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレキサンドリア、そしてエルサレムの五大司教区の全体のこととされていました。

コンスタンティヌス大帝は、キリストの十二使徒の頭・聖ペトロの殉教の記念として、同じローマに、聖人の墓所を覆うようにして聖ペトロ大聖堂をも献堂していますが、14世紀初めの教皇のアビニヨン捕囚までは、ラテラン大聖堂が、聖ペトロの後継者としてのローマ司教(教皇)の「司教座」聖堂であると共に、「使徒座」聖堂としての機能を果たしていました。その後1377年の教皇のローマへの帰還の後は、ラテラン教会に代えて、聖ペトロ大聖堂が、特に「使徒座」聖堂とされ、教会一致の目に見える中心として現在に至っています。

今日の祝日は、五大司教区中ローマ司教区の祝日として長く西欧でのみ祝われていましたが、16世紀以降、世界に広がったローマ典礼の全教区によって、「ローマ司教」である教皇との一致と親愛の徴として祝われるようになりました。

さて、今日の福音は、キリストの「宮清め」の出来事と呼ばれてきました。ヨハネによる福音は、主イエスの宣教の始めに、この出来事を伝えています。しかし、同じ出来事をマタイ、マルコとルカの福音は、聖週間のこととしています。

マタイ等は、宮清めの時、主イエスは「わたしの家は、祈りの家でなければならない」とのイザヤの書からのことばをお語りになられたと伝えています(マタイ21:13)。今日のヨハネによる福音は、同じ時、主イエスは、エルサレムの神殿を「わたしの父の家」とお呼びになられたこと、さらに、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる」と仰せになられたと伝えています。

ヨハネによる福音は、この主イエスのおことばに続けて、「イエスの言われる神殿とは、ご自分のからだのこと」であり、そのことを、「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこういわれたのを思い出し、聖書とイエスの語られたことばとを信じた」との説明を加えています。

ラテラン大聖堂は、時のローマ皇帝によって、使徒ペトロの歴代の後継者であるローマ司教(教皇)の「司教座及び使徒座」大聖堂として献堂されました。このことの教会史、否、人類史における意義の重大さは、改めて申し上げるまでもありません。但し、復活のキリストのからだである教会を、主イエスご自身が「岩」と呼ばれた使徒ペトロの上に建てられるのは、あくまで主ご自身です。

主イエスは、「あなたはメシア、生ける神の子です」との使徒ペトロの告白に応えて、次のようにはっきりと約束されました。(マタイ16:16-18)「シモン(ペトロ)、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ(「岩」)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」

そうであれば、主イエスご自身によって、「岩」なるペトロの上に建てられた主ご自身のからだである教会の内に働かれるのは、主のみことばと、みことばをわたしたちに恵みとして実を結ばせてくださる聖霊に他なりません。

その時、教会は、正しく、「祈りの家」と呼ばれます。「祈り」こそ、神とわたしたちを結び合わせてくださる聖霊の働きの見える姿、その働きの実りだからです。「祈り」は、ご自身をわたしたちにお与えくださる奉献の主イエス・キリストご自身であり、聖霊によって働き、わたしたちに実を結ぶ神のみことばです。

主イエスは仰せになられました。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」

教会は「祈りの家」。「祈り」そのものである主の家。この祈りの家で、キリストによって、神のみことばと聖霊の恵みに満たされます。それがミサです。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。