- 2025/6/27 イエスのみ心 ルカ15:3-7およびヨハネ19:31-37
- 2025/6/24 説洗礼者ヨハネの誕生 ルカ1:57-66,80
- 2025/6/22 キリストの聖体 ルカ9:11b-17
- 2025/6/15 三位一体の主日 ヨハネ16:12-15
- 2025/6/8 聖霊降臨の主日 ヨハネ14:15-16,23b-26
- 2025/6/1 主の昇天(復活節第七週)ルカ24:46-53
- 2025/5/25 復活節第六主日 ヨハネ14:23-29
- 2025/5/18 復活節第五主日 ヨハネ13:31-33a、34-35
- 2025/5/11 復活節第四主日 ヨハネ10:27-30
- 2025/5/4 復活節第三主日 ヨハネ21:1-19
- 2025/4/27 復活節第2主日 (神のいつくしみの主日) ヨハネ20:19-31
- 2025/4/20 復活の主日・日中のミサ ヨハネ20:1-9
- 2025/4/20 復活の聖なる徹夜祭 ルカ24:1-12
- 2025/4/18 聖金曜日・主の受難 ヨハネ18:1-19:42
- 2025/4/17 主の晩餐の夕べのミサ ヨハネ13:1-15
- 2025/4/13 受難の主日(枝の主日)ルカ23:1-49
- 2025/4/6 四旬節第5主日 ヨハネ8:1-11
- 2025/3/30 四旬節第4主日 ルカ15:1-3,11-32
- 2025/3/23 四旬節第3主日 ルカ13:1-9
- 2025/3/9 四旬節第1主日 ルカ4:1-13
- 2025/3/5 灰の水曜日の黙想
- 2025/3/2 年間第8主日 ルカ6:39-45
- 2025/2/23 年間第7主日 ルカ6:27-38
- 2025/2/16 年間第6主日 ルカ6:17,20-26
- 2025/2/9 年間第5主日 ルカ5:1-11
- 2025/2/2 「わたしはこの目で、あなたの救いを見た」「主の奉献」の祭日の黙想
- 2025/1/26 年間第3主日 ルカ1:1-4、4:14-21
- 2025/1/19 主の洗礼 (ルカ3:15-16,21-22)
- 2025/1/12 主の洗礼 (ルカ3:15-16,21-22)
- 2025/1/5 主の公現 マタイ2:1-12
- 2025/1/1 神の母聖マリアさまの祭日(2025年1月1日)の黙想(ルカ2・16~21)
司祭の言葉 2024/6月-12月
- 2024/12/29聖家族 ルカ2:41-52
- 2024/12/25 主の降誕(日中)ヨハネ1:1-18
- 2024/12/25 主の降誕(夜半)ルカ2:11-14
- 2024/12/22 待降節第四主日 ルカ1:39-45
- 2024/12/15 待降節第三主日 ルカ3:10-18
- 2024/12/8 待降節第二主日 ルカ3:1-6
- 2024/12/8 「無原罪の聖マリアさまの祭日の黙想」ルカ1:26-38
- 2024/12/1 待降節第一主日 ルカ21:-25-28,34-36
- 2024/11/24 王であるキリスト(年間34最終主日) ヨハネ18:33b-37
- 2024/11/17 年間33主日 マルコ13:24-32
- 2024/11/10 年間32主日 マルコ12:38-44
- 2024/11/3 年間31主日 マルコ12:28b-34
- 2024/11/2 死者の日 ヨハネ6:37-40
- 2024/11/1 諸聖人の祭日の黙想
- 2024/10/27 年間30主日 マルコ10:46-52
- 2024/10/20 年間29主日 マルコ10:35-45
- 2024/10/13 年間28主日 マルコ10:17-30
- 2024/10/6 年間27主日 マルコ10:2-16
- 2024/10/2 「守護の天使の祝日」の黙想(10月2日)
- 2024/9/29 聖ミカエルの祝日(9月29日)の黙想
- 2024/9/29 年間26主日 マルコ9:38-43,45,47-48
- 2024/9/22 年間25主日 マルコ9:30-37
- 2024/9/15 年間24主日 マルコ8:27-35
- 2024/9/14 「十字架称賛」の祝日(9月14日)の黙想
- 2024/9/8 年間第23主日 マルコ7:31-37
- 2024/9/1 年間22主日 マルコ7:1-8,1415,21-23
- 2024/8/25 年間21主日 ヨハネ6:60-69
- 2024/8/18 年間20主日 ヨハネ6:51-58
- 2024/8/15 「天の食卓に迎え入れられて」聖母マリアさまの被昇天の祭日の黙想
- 2024/8/11 年間19主日 ヨハネ6:41-51
- 2024/8/6 主の変容マルコ 9:2-10
- 2024/8/4 年間18主日 ヨハネ6:24-35
- 2024/7/28 年間17主日 ヨハネ6:1-15
- 2024/7/21 年間第16主日 マルコ6:30-34
- 2024/7/14 年間第15主日 マルコ6:7-13
- 2024/7/7 年間第14主日 マルコ6:1-6
- 2024/6/30 年間第13主日 マルコ5:21-43
- 2024/6/23 年間第12主日 マルコ4:35-41
- 2024/6/16 年間第11主日 マルコ4:26-34
- 2024/6/9 年間第10主日 マルコ3:20-35
- 2024/6/2 キリストの聖体の主日 マルコ14:12-16,22-26)
司祭の言葉 2026/1/1
「抱(いだ)いたキリストによって抱(いだ)かれる」
―新しい年をマリアさまとともにー
神の母聖マリアさまの祭日の黙想(ルカ2・16~21)
クリスマスの夜、天使のお告げを受けた羊飼いたちは急いで行って、マリアさまとヨセフさま、そして飼い葉桶に寝かされた乳飲み子キリストを探し当てました。彼らは、その光景を彼ら自身の目で確かめ、主イエスを礼拝した後、幼子について、彼らが天使から告げられたことを人々に知らせました。しかし、聞いた者は皆、羊飼いたちの話に戸惑い、不思議に思いました。そのような中で、
「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」
と、ルカによる福音は伝えます。福音は、この時と同じマリアさまのご様子を、後に主イエスが12歳になられた時の過越祭に、マリアさまが主とともにエルサレムの神殿に詣でた際のエピソードの結びにも伝えています。
羊飼いたちが天のみ使いに告げられた事のみならず、主イエスの出来事は、人の目には不思議に見えます。確かに、神のなさることは、旧約の預言者イザヤの語るように、「人の思いや考えを超えて」います。イザヤは告げます、「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道は、あなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」(イザヤ55:8,9)
預言者を通して、このようにあらかじめ語られていた神のみことばにもかかわらず、後に、人々は主イエスについて正しく理解できないままに自分たちの判断で主を裁き、結果として主を十字架につけてしまいます。
マリアさまは違います。主イエスのおことばとそのみ業を、それらの不思議のままに一切を「すべて心に納めて、思い巡らしていた」と、福音は伝えます。
母として主イエスを身ごもり、産み、養い育て、つねに主のお側に生活しながらも、主は不思議であり、マリアさまの思いや考えをさえ超えておられたことでしょう。しかし、マリアさまは主イエスについて、ご自分の思いや考えで判断するようなことは決してなさいませんでした。すべてをそのお心に大切に納めて、神ご自身がマリアさまにその一切を明かされる時まで、静かに待っておられました。「思い巡らしておられた」とは、そういうことだと思います。
なぜなら、マリアさまは主イエスを素直に、素朴に信じておられたからです。子をそのように信じる。これは、母の子に対する愛であり、あるいは母にしかできないことかもしれません。母を天に送ったわたしは、このことを強く思います。
実は、1月1日は母の誕生日です。母は生きていれば、今日93歳になります。わたしは、母の臨終の病床で、母にカトリックの洗礼を授けましたが、1月1日神の母聖マリアさまの大祭日に生まれた母に、母の霊名は迷わずマリアといたしました。
母の願いや期待どおりに生きてきたとは、到底言えないわたしでした。それでも、母はいつもわたしを信じ、支え励まし続けてくれました。主イエスと聖母マリアさまを、わたしとわたし自身の母に当てはめて考えることは、もちろん出来ません。しかし、マリアさまが主イエスの母であるがゆえにおできになられたこと。それは、いかなるときにも素直に、素朴に御子キリストを疑うことなく愛し、信じ抜かれた、と言うことではなかったでしょうか。ご自身をそのまま主に委ねて行かれるとともに、まったく私心なく、一筋に御子キリストを信じ、支え抜かれた。それが、神の母聖マリアさまであられたと、今のわたしには思われてなりません。
新年の初めに、このように聖母マリアさまをなつかしく想い起こさせていただくのは、まことに相応しいことです。神が年の初めにわたしたちにお求めになられておられることは、聖母マリアさまのような主イエスへの聖い愛と信仰と信頼ではないでしょうか。
教会は、マリアさまのことを、感謝を込めて「神の母」と呼ばせていただいて来ました。神の母であられるマリアさまを、ご聖体の神なる主イエスをお納めする「ご聖櫃(せいひつ)」ともお呼びして来ました。聖母マリアさまは、ちょうど「ご聖櫃」のように、ご聖体の主イエスをご自身の内に、いつも大切に抱(いだ)き、納めておられます。
「抱(いだ)いたキリストによって抱(いだ)かれる」という美しい信仰の言葉があります。聖母マリアさまは、御子キリストをご自身の内にいつも大切に抱(いだ)き納めつつ、実は、主の愛の内に、むしろマリアさまこそ大切に抱(いだ)かれておられることを、マリアさまは至福の内にご存知であられたに違いありません。
わたしたちは、神の母聖マリアさまとともに新しい年を迎えます。
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。
